想像でしかないのだが、峯吉の目的は自分の夢を実現するというより、表現することだったのではないだろうか。
理想としての西洋、新しい時代を開くであろう化学(科学)、美や正義や合理、といった自分の夢を西洋建築風のファサード、中央大広間、化学(科学)実験室、黄金比、シンメトリーな構成、厳密なスケール、などというフィルターを通し現実の空間への変換を試みたのであろう。
当初から「巌窟ホテル高荘館」は公開され、見せるモノとして計画されていたことも確かで、したがって表現すべき夢をもった峯吉の作った部分と、後を継いだ2代目の泰治さんの作った部分では全く空間の質が異なっている。前者は見る者に訴えかける表現があるのに比べ、後者は単に物理的な空間としてのみ実現されている。
現在、「巌窟ホテル高荘館」完成を待たずに崩壊しようとしている。1982年の台風で崖の一部が崩れ落ち、1985年6月にはファサードの殆どが岩の剥離により削り取られてしまった。
「そうしなければならなかったから」と言って岩を掘り、また保守に努めてきた2代目泰治さんも1986年1月に他界した。
「巌窟ホテル高荘館」の鉄の扉は閉じられたままである。1つの夢が終わったのか、それとも扉が再び開くのかは誰にも分からない。峯吉の夢は岩の中に封じ込められた。