昭和63年、栗原夫妻はオーストラリアへと発った。33年の間「給水塔の家」で生活し、子育ても終わった。仕事も一区切りついて新しい生活の場を求めたのである。
日本の春と秋が好きでその季節には日本に帰ってくるが、多くの時間をこの家のメンテナンスに費やしている。 やはり愛着があるのだという。
 「まあ、私の一生が終われば、後は誰も問題にしないと思うのだけれどね。生きているうちはやっぱり置いておきたいという気持ちはあります。」でもね・・・と続ける、
「80になりましたから・・・・・、年齢の問題が一番大きいんです。」
彼は「給水塔の家」を手放してもよいと考えている。もう一度、オーストラリアに自分たちの家をつくりたいのだという。
「いつまでも昔のことにしがみついているよりも」と語り始め、「できればこれを生かしてくれる人に買ってもらいたいですよね。」と言葉を継ぐ。
一人の男と彼の家、あるいは一つの家族と彼らの家の物語はまだ終わらない。
栗原さんは自分の目でこの建物を見続け、彼自身の想像力で「給水塔」を家に変え、これを生き、ここから発った。しかし現在もなお、巷に溢れる商品化し、断片化した生活のイメージの集積でつくられた家や、延ばせばすぐ手の届く距離にある夢がつくりだす家とは異なる地平に「給水塔の家」は建っている。
住宅の意味がますます軽くなっていく時代だからこそ、そんな「給水塔の家」に、まだしばらくは生き続けてほしいと願っている。