今日までに三宅栄氏について知り得たことはほんの僅かである。1897年岡山に生れ、1987年の春は千葉県安房郡三芳村の平久里川の川沿いに氏自身の発明研究所を建設途中であったこと。そしてこの90年の間、彼は発明家であり、また音楽家でもあったということである。 三宅栄探究委員会の資料によれば、1922年の「自動開閉戸機」の出願以来、40〜50件の 特許を出願。1932年には実用新案「写真水洗器」のもたらした収入で鎌倉に卓球場を開設。また、1952年「ジャズ舞踊」(山葉ホール)を発表。そして、楽器「踏弦琴」「両面 弦琴」「双十字弦琴」を開発、試奏したとされている。 そんな彼がなぜ三芳村に発明研究所をもとうと考えたのだろうか。そして、それがなぜセルフビルドでなければならなかったのだろうか。